本文へスキップ

プロフィールprofile


風越山の地権者
丸山享保会生産森林組合について
丸山享保会生産森林組合の歴史
約140年前
江戸時代 羽場、丸山、東野、大平他と云う共同体として慣行の組織が成り立っていたのが
明治維新の行政組織の整備によって
上飯田村の
羽場、丸山、東野、大平の4区で村が発足しました。
その頃の丸山区は農家100戸、非農家14戸の114戸であり、
農家中心の構成であったことから、必然的に裏山の風越山を丸山区有の山とし木材、薪炭、肥料、を得る為に規約を作って山の手入れ等に励んでいました。
その後、丸山区の住人が増えてきて、早くから丸山区を維持してきた人達が,共有の財産を保全するために共有権を確立しました。
明治後半の20年間から大正15年の長い間共有権の保全に係わる動乱期
(他の地区との山林争い)をへて昭和11年126名の共有権利者でもって
丸山享保会として法律的な権利を明確にすると共に
改めて丸山享保会と名乗りました。
第2次大戦終戦後、社会の急激な変革に対応した、森林法のもと
昭和50年丸山享保会生産森林組合として森林運営の合理化のために
法人化しました。
近年、会員数の減少が問題となっています。これには、社会情勢で山から
材木、薪炭、焚き物、肥料等を得る必要がなくなって来たことなどが原因です
又、ウルグアイラウンドで輸入木材に押され、森林経営が危機的な状況となり
全国の森林が荒廃し、その、影響が現在に至っております。
最近は後継者問題等少子化での原因が多くなってきています。
しかし、治山することの必要性が問われ。
山を守るそのことが環境問題の解決に役に立つ一つであり治山治水の重要性が
益々高まってきています。

風越山は多くの人々が登り、景観と数々の文化財に癒やされます。
麓の権現山白山社の崇拝と共に享保会単独で城山佐倉神社と山の神を春秋の2回例祭を執り行っています

享保会所有の山の面積は約150ヘクタールです。
丸山享保会の組織を守り。
風越山を守り。
創設以来の古文書の保存(主に丸山地区の歴史)
登山道の整備や森林育成の活動が主な事業です。

戻る




contents

丸山享保会生産森林組合

〒395-0077
長野県 飯田市 丸山町1丁目5569−7